Shiki’s Weblog

青谿書屋(せいけいしょおく)(ほん)土佐(とさ)日記(にっき)』をいまの日本語(にほんご)にしてみる ― その3

2020/01/06, 加筆(かひつ)改定(かいてい): 2020/1/13

 その1その2につづいて『土佐日記』から。今回(こんかい)は、『土佐(とさ)日記(にっき)』の1(がつ)22(にち)からさいごまでを、いまの日本語(にほんご)にしてみました。これで、さいしょの12(がつ)21(にち)からさいごの2(がつ)16(にち)までのぶん、すべてになります。


1/22

 22(にち)。ゆうべのとまりから、べつのとまりにむかってゆく。とおくむこうに(やま)がみえる。
 9(さい)ほどのおとこのこで、としよりも、おさなくみえるこがいた。そのこが、ふねをこぐとともに(やま)もすすむようにみえるのをみて、(その)ふしぎなようすをうたによんだ。そのうたは、

 こきてゆく ふねにてみれは あしひきの やまさへゆくを まつはしらすや

といった。おさないこどものことばとしては、()あっている。
 きょうは(うみ)があれていて、(いそ)には(ゆき)がふり、(なみ)(はな)がさいた。あるひとがよみました。

 なみとのみ ひとつにきけと いろみれは ゆきとはなとに まかひけるかな

1/23

 23(にち)()がてってから、くもった。このあたりは、海賊(かいぞく)のおそれがあるというので、(かみ)(ほとけ)にいのった。

1/24

 24(にち)。きのうとおなじところにいる。

1/25

 25(にち)。かじとりたちが「(きた)(かぜ)がよくない」というので、ふねをすすめられない。「海賊(かいぞく)がおってくる」といううわさが、たえずきこえてくる。

1/26 陽錯

 ほんとうだろうか。海賊(かいぞく)がおいつくというので、()なかごろから、ふねをすすめて、こいでいったとちゅうに「たむけ」をするところがあった。
 かじとりに「ぬさ」をさしあげるようにいうと、ぬさが(ひがし)へちったので、かじとりが(もう)しあげたことは、『このぬさのちるほうに、ふねをすみやかに、こがせてください』と(もう)しあげた。
 これをきいて、あるおんなのこが、

 わたつみの ちふりのかみに たむけする ぬさのおひかせ やますふかなん

とよんだ。
 そうしているあいだに、(かぜ)がよくなり、かじとりはとてもほこらしげに、()をあげたりしてよろこんだ。その(おと)をきいて、こどもも(おんな)も、いつかはと、おもっていたからだろう。とてもよろこんだ。そのなかの「淡路(あわじ)のたうめ」というひとのよんだうたは、

 をひかせの ふきぬるときは ゆくふねの ほてうちてこそ うれしかりけれ

でした。
 天気(てんき)にあやかって、いのった。

1/27

 27(にち)(かぜ)がふき、(なみ)もあらいので、ふねをすすめられない。みんな、とてもなげいた。
 (おとこ)たちの()ばらしの漢詩(かんし)に「()をのぞめば、(みやこ)とおし」などということのいきさつをきいて、ある(おんな)がよんだうたです。

 ひをたにも あまくもちかく みるものを みやこへとおもふ みちのはるけさ

またあるひとのよんだうたです。

 ふくかせの たえぬるかきりし たちくれは なみちはいとゝ はるけかりけり

(ひる)のあいた、(かぜ)がやまなかった。弾指(つまはじき)をして、ねた。

1/28

 28(にち)()どおし、(あめ)がやまなかった。けさも。

1/29 甲子(きのえね)

 29(にち)。ふねをすすめていく。うららかに(ひが)てって、こいでいく。
 (つめ)がとてもながくなったのをみて、()をかぞえると、きょうは((つめ)をきってよい(うし)()ではなく)()()だったので、((つめ)は)きらなかった。
 睦月(むつき)なので、(きょう)()()のことをいいだして、「(小松(こまつ)びきの)小松(こまつ)があったらなぁ」といっても、(うみ)のなかなので、むずかしい。ある(おんな)がかきだしたうたは、

 おほつかな けふはねのひか あまならは うみまつをたに ひかましものを

といった。(うみ)での()()のうたとしては、いかがだろう。
 また、あるひとがよんだうたです。

 けふなれと わかなもつます かすかのゝ わかこきわたる うらになけれは

 こういいながら、こぎすすめる。
 すばらしいところにふねをよせて、「ここはどこ」と()うと、土佐(とさ)のとまりといった。むかし、土佐(とさ)というところにすんでいた(おんな)がこのふねにまじっていた。その(おんな)がいうには、むかし、すこしのあいだいたところの、「なくひ(※)」だそうだ。「あわれ」といって、よんだうたは、

 としころを すみしところの なにしおへは きよるなみをも あはれとそみる

といった。


※ なくい=『新潮日本古典集成〈新装版〉 土佐日記 貫之集』では、意味(いみ)については「後考(こうこう)をまつ」としている。


1/30

 30(にち)(あめ)(かぜ)もふかない。海賊(かいぞく)(よる)うごきまわらないときいて、()なかごろに、ふねをすすめて、阿波(あわ)水門(みと)をわたる。()なかなので、西(にし)(ひがし)もみえない。(おとこ)(おんな)もひたすら(かみ)(ほとけ)にいのって、この水門(みと)をわたりきった。午前(ごぜん)()ごろに、沼島(ぬしま)というところをすぎて、()()(かわ)というところをわたる。やっとのことで、いそいで、和泉(いずみ)(なだ)というところにいたった。きょうは、(うみ)に、(なみ)のようなものはない。(かみ)(ほとけ)のめぐみをおうけしているようだ。
 きょうで、ふねにのった()からかぞえると、39(にち)になった。もう和泉(いずみ)(くに)にきたので、海賊(かいぞく)はものでもない。

2/1

 二(がつ)一日(ついたち)。あさのあいだ、(あめ)がふる。正午(しょうご)ごろに、やんだので、和泉(いずみ)(なだ)というところからすすんで、こいでゆく。(うみ)のうえは、きのうとおなじで(かぜ)(なみ)もみえない。
 黒崎(くろさき)松原(まつばら)をへてすすむ。(黒崎(くろさき)は、)ところのなまえはくろく、(まつ)(いろ)はあおく、(いそ)(なみ)(ゆき)のように、(かい)のいろは蘇芳(すおう)に、五(しょく)(※)にいま一色(いっしょく)だけたりない。
 そうしているあいだに、きょうは、(はこ)(うら)というところから、(つな)でひいてすすむ。こうしてすすむあいだに、あるひとがよんだうたです。

 たまくしけは このうらなみ たゝぬひは うみをかゝみと たれかみさらん

 また、ふねのおかたがいわれるには、「この(つき)までになったこと」となげいて、「くるしさにたえられず、ひともいうこと」と、()ばらしにいった。

 ひくふねの つなてやなかき はるのひを よそかいかまて われはへにけり

 きいたひとはおもったようだ。
「なぜ、そのままのことばでいう」
(そう)ひそかにいうだろう。
「ふねのおかたが、やっとのことで、ひねりだした、よいとおもえることばを。おうらみになるだろう」
と、つぶやいてやめた。
 きゅうに(かぜ)(なみ)がたかくなって、ここに、とどまった。


※ 五(しょく)(くろ)(あお)(しろ)(あか)()。だそう。


2/2

 二日(ふつか)(あめ)(かぜ)がやまない。(ひる)(よる)もずっと(かみ)(ほとけ)にいのる。

2/3

 三日(みっか)(うみ)のうえは、きのうとかわりなく、ふねをすすめられない。(かぜ)がふきやまなければ、(きし)(なみ)がたってはかえる。これにつけて、よんだうたです。

 をゝよりて かひなきものは おちつもる なみたのたまを ぬかぬなりけり

 こうして、きょうは()れた。

2/4

 四日(よっか)。かじとりが、「きょうは(かぜ)(くも)のようすが、はなはだわるい」といって、ふねをすすめさせなかった。しかし、いちにちじゅう、(なみ)(かぜ)はたたなかった。このかじとりは、日和(ひより)もはかれない、ばかものだった。
 このとまりの(はま)には、さまざまなうるわしい(かい)(いし)などがおおくあるので、ただむかしのひとをおもいだしながら、ふねのひとがよんだ(うたが)、

 よするなみ うちもよせなむ わかこふる ひとわすれかひ おりてひろはん

といったら、あるひとが、たえられずに、ふねの()ばらしによんだ(うたは)、

 わすれかひ ゝろひしもせし ゝらたまを こふるをたにも かたみとおもはん

といった。
 おんなのこのためには、(おや)はおさなってしまうのだろう。「しらたまでもなかったのに」とひとはいうだろうか。けれども、「(はやく)なくなるこは、(かお)だちがうつくしい」ということもある。
 まだおなじところで、()がたつことをなげいて、ある(おんな)がよんだうたです。

 てをひてゝ さむさもしらぬ いつみにそ くむとはなしに ひころへにける

2/5

 五日(いつか)。きょう、やっとのことで和泉(いずみ)(なだ)から小津(おず)のとまりをめざす。松原(まつばら)は、()でおえないほど、はるかとおくまでつづいている。だれもかれも、つらくて、よんだうたです。

 ゆけとなほ ゆきやられぬは いもかうむ をつのうらなる きしのまつはら

 こういいながら、すすむほどに、「ふねをはやくこげ。()もよいときに」とうながすと、かじとりが、ふねのこどもたちにいうには、

 みふねより おふせたふなり あさきたの いてこぬさきに つなてはやひけ
(ふねのかたから、おふせをたまわった。(あさ)(きた)(かぜ))のでてくるまえに、(つな)ではやくひけ)

といった。このことばはうたのようだが、かじとりから、しぜんにでてきたことばだ。かじとりは、うたのようなことばをいおうとは、まったくおもっていない。きいたひとが、「みょうに、うたのようにいったなぁ」とかきだしてみると、ほんとうに30文字(もじ)あまり(31文字(もじ))だった。
 「きょう、(なみ)たつな」とひとびとが、一日(いちにち)じゅう、いのったおかげか、(かぜ)(なみ)もたたなかった。
 まもなく、カモメがむれになって、あそんでいるところがあった。(きょう)がちかづくよろこびのあまり、あるこがよんだうたは、

 いのりくる かさまともふを あやなくも かもめさへたに なみとみゆらん

といってすすむあいだに、石津(いしず)というところの松原(まつばら)がすばらしくて、浜辺(はまべ)はとおく(までつづいている)。
 また、住吉(すみよし)のあたりをこいでゆく。あるひとのよんだうたです。

 いまみてそ みをはしりぬる すみの江の まつよりさきに われはへにけり

 ここに、なくなったおんなのこを、(はは)が、一日(いちにち)もほんのわずかなあいだも、わすれられなくて、よんだうたは、

 すみの江に ふねさしよせよ わすれくさ しるしありやと つみてゆくへく

と。すっかりわすれてしまおうということではなく、おもいしたう()もちを、すこしのあいだやすめて、また、おもいしたう(ちから)にしようというのだ。
 そういって、ながめながらすすんでいくあいだに、おもいがけず、(かぜ)がふいて、こいでも、こいでも、うしろへさがりに、さがって、もうすこしで、しずみそうになった。かじとりがいうには、
「この住吉(すみよし)明神(みょうじん)(れい)(かみ)だ。ほしいものがおありになるのだろう」
とは、いまめいたものだ。すると、
「ぬさをさしあげてください」
といった。いうとおりに、ぬさをさしあげた。そうして、さしあげたのだが、まったく(かぜ)はやまず、ますますふいて、((なみ)も)ますますたって、(かぜ)(なみ)もあぶないので、かじとりがまたいうには、
「ぬさには、みこころがすすまないので、このふねもすすみません。もっと、うれしいとおもわれるようなものを、さしあげてください」
という。また、いうとおりに、「どうしようか」と(かんがえて)、
()でさえふたつあるのに、ただひとつしたない(かがみ)をさしあげる」
と、(うみ)にしずめて、がっかりする。すると、とたんに、(うみ)(かがみ)のおもてのようになったので、あるひとがよんだうたです。

 ちはやふる かみのこゝろを あるゝうみに かゝみをいれて かつみつるかな

 いたくて(※)、「住之江(すみのえ)」「わすれ(くさ)」「(きし)姫松(ひめまつ)」などと(うたに)いう(かみ)ではないな。()にはっきり、(かがみ)(かみ)のこころがうつってみえた。かじとりのこころは、かみのこころなのであった。


※ いたく=いたい(かみ)かも。(がつ)(にち)にも「これをのみいたかり」というのがありました。あとで、かじとりが(かわ)ぞこに(かがみ)をあさりにいったりしていないとよいのですが。


2/6

 2(がつ)(にち)澪標(みおつくし)のもとからすすんで、難波(なにわ)について、川尻(かわじり)にいる。ひとびとみな、おばあさんも、あじいさんも、ひたいに()をあてて、よろこぶこと、このうえなかった。あのふな()いの淡路(あわじ)(しま)のおばあさんも、(みやこ)がちかくなったというのをよろこんで、船底(ふなぞこ)から(あたま)をもちあげて、こういった。

 いつしかと いふせかりつる なにはかた あしこきそけて みふねきにけり

 とても意外(いがい)なひとがいったので、ひとびともめずらしくおもった。そのなかに、気分(きぶん)のすぐれない、ふねのおかたが、とても()にいられて、「ふな()いされていたお(かお)とはまるでちがいますね」といった。

2/7

 七日(なのか)。きょうは、川尻(かわじり)にふねがいりたってこぎのぼるにも、(かわ)(みず)()いてこまりくるしむ。ふねをのぼらせるのが、とてもむずかしい。
 そうしているあいだに、病気(びょうき)のふねのおかたは、もともと、ほねぼねしい(※)ひとで、こうしたことをまったくしらない。それでも、「淡路(あわじ)のうため」のうたを()にいって、(みやこ)のほこりもあるのだろう。やっとのことで、へんなうたをひねりだした。そのうたです。

 きときては かはのほりちの みつをあさ みふねもわかみも なつむけふかな

 これは、やまいをしているから、よんだのだろう。(この)ひとが、(この)うたにまんぞくできずに、もうひとつ(よんだうたです)。

 とくとおもふ ふねなやますは わかために みつのこゝろの あさきなりけり

 このうたは、(みやこ)にちかくなって、よころびにたえず、いったのでしょう。
淡路(あわじ)のおばあさんのうたより、おとっている。くやしいな。いわなければ、よかったものを」
と、くやしがっているうちに、(よる)になって、ねていました。


骨骨(こちごち)し=無風流でごつごつしている。


2/8 斎日(さいにち)

 八日(ようか)。なお、(かわ)のぼりになやんで、鳥飼(とりかい)御牧(まみき)というあたりにとまる。こよい、ふねのおかたは、(れい)のやまいがおきて、とてもくるしむ。
 あるひとが、しんせんなものをもってきた。(こめ)でおかえしをする。(おとこ)たちは、こっそりいった。
「こめつぶで、モツをつる」
と。こうしたことが、ところどころであった。きょうは、節忌(せちみ)をするので、さかなは不用(ふよう)(※)。


(がつ)14(にち)にも斎日(さいにち)節忌(せちみ)のはなしがでてきました。


2/9

 九日(ここのか)。こころもとなくて、あけるまえから、ふねをひきつつのぼっても、(かわ)(みず)がないので、(ひざ)であるくくらいにしかすすめない。こうしているあいだに、「わだのとまりの()かれのところ」というところにきた。(こめ)(さかな)などをこわれれば、(お布施(ふせ)を)おこなった。
 そうして、ふねをひいてのぼりながら、なぎさの(いん)というところをみつつすすんだ。この(いん)は、むかしにおもいをはせてみれば、すばらしかったところだ(※)。うしろにある(おか)には(まつ)木々(きぎ)があり、なかの(にわ)には、(うめ)(はな)がさいている。ここでひとびとがいっていた。
「ここは、むかし、なだかくきこえたところです。()惟喬親王(これたかのみこ)のおともで()在原業平(ありはらのなりひら)中将(ちゅうじょう)が、

 よのなかに たへてさくらの さかさらは ゝるのこゝろは のとけからまし

といううたをよんだところです」
 いま、きょう、あるひとがここにあったうたをよみました。

 ちよへたる まつはあれと いにしへの こゑのさむさは かはらさりけり

また、あるひとがよんだうたは、

 きみこひて よをふるやとの むめのはな むかしのかにそ なほにほひける

といって、(みやこ)にちかづくことを、よろこびながらのぼった。
 こうしてのぼるひとびとのなかに、(きょう)よりくだったときには、だれにもこどもがなく、ついた(くに)でこどもをうんだひとびとがいて、いっしょになる。このひとたちはみんな、ふねのとまるところで、こどもをだきながら、のりおりする。それをみて、なくなった()(はは)はかなしみにたえられず、

 なかりしも ありつゝかへる ひとのこを ありしもなくて くるかゝなしさ

といって、ないた。(()の)(ちち)も、これをきいて、どうだったろうか。
 こうしたことも、うたも、このんでそうあることではないのだ。(とう)でもこのくにでも、おもうことにたえられないときにするのだ。
 こよいは、鵜殿(うどの)というところにとまる。


※ このときには(いん)のあったばしょは荒廃(こうはい)してしまっている。


2/10

 十日(とおか)。さしさわりのあることがあって、((かわ)を)のぼらなかった。

2/11

 11(にち)(あめ)がほんのわずかにふって、やんだ。そうして、のぼっていくと、(ひがし)のほうに(やま)がよこたわっているのをみて、ひとにきくと、八幡(やはた)(みや)だという。これをきいて、よろこんで、ひとびとはおがませていただいた。山崎(やまさき)(はし)がみえる。うれしくてしかたない。
 さて、相應寺(そうおうじ)のほとりにすこしのあいだふねをとめて、あれこれときめることがあった。この(てら)(きし)のほとりに(やなぎ)がたくさんあった。あるひとが、この(やなぎ)のかげが(かわ)(そこ)にうつっているのをみて、よんだうたです。

 さゝれなみ よするあやをは あをやきの かけのいとして おるかとそみる

2/12

 12(にち)山崎(やまさき)にとまった。

2/13

 13(にち)。なお山崎(やまさき)に。

2/14

 14(にち)(あめ)がふる。きょう、くるまを(きょう)にとりに(ひとを)やる。

2/15

 15(にち)。きょう、くるまがひかれてきた。ふねがわずらわしくて、ふねから、ひとの(いえ)にうつった。そのひとの(いえ)(のひと)は、よろこんでいるようで、もてなしてくれた。そのあるじの、また、もてなしがよいのをみると、(わたしのほうは)なさけなくおもわれた(※)。いろいろとおかえしをした。(いえ)のひとのふるまいはよく、うやうやしかった。


※ うたておもほゆ=「かえってわずらわしくおもった」とする(せつ)もあります。(がつ)四日(よっか)貫之(つらゆき)心情(しんじょう)をおもうと、「たいしたおかえしをできないことをなさけなくおもった」としたほうが、しぜんな(かん)じがします。ぎゃくにこの翌日(よくじつ)のようすからは、「(あるじ)」のわずらわしさも(かん)じられます。ここでは、一行(いっこう)がよせてもらったというながれから、前者(ぜんしゃ)解釈(かいしゃく)にしておきました。


2/16

 16(にち)。きょうのゆうがた、(きょう)にのぼる。ついでにみると、山崎(やまさき)()(びつ)()も「まかりのおほちのかた(※1)」もかわっていない。「うっているひとのこころは、(むかしのままか)わからない」とはいう。
 そうして(きょう)へすすんでいくとちゅう、(しま)(さか)でひとのもてなしをうけた。ぜったいにあってはならないものでもない。((くに)へ)たちゆくときよりも、もどってきたときのほうが、ひとがなにかといる(※2)。これにも、おかえしをした。
 (よる)になってから(きょう)にはいろうとおもい、いそぐこともなくいると、(つき)がでてきた。桂川(かつらがわ)(つき)のあかりのなかをわたる。ひとびとがいうには、
「この(かわ)飛鳥(あすか)(かわ)ではないので、((かわ)の)(ふち)()もまったくかわっていない」
といって、あるひとがよんだうたです。

 ひさかたの つきにおひたる かつらかは そこなるかけも かはらさりけり

また、あるひとがいいました。

 あまくもの はるかなりつる かつらかは そてをひてゝも わたりぬるかな

また、あるひとがよみました。

 かつらかは わかこゝろにも かよはねと おなしふかさに なかるへらなり

 (きょう)のうれしさのあまり、うたもあまりにおおかった。(よる)がふけてくると、ところどころみえない。(きょう)にいりたって、うれしかった。
 (いえ)について(かど)にはいると、(つき)があかるいので、とてもよくようすがみえた。きいていたよりも、ひどく、どうしようもなく、いたんでこわれている。(いえ)にあずけたひとのこころも、あれてしまったのだろう。中垣(なかがき)はあるけれど、ひとつの(いえ)のようになっているので(※3)、のぞんであずかったのだ。そのうえ、ときどきにものも(おく)ってきた。こよいは、どういうことかと、おおきな(こえ)でおもいなやみはしない。とてもむごくみえるけれど、こころざしはとおもう(※4)。
 ところで、(いけ)のようにくぼんで(みず)のたまったところがある。ほとりに(まつ)もあった。五、六(ねん)のうちに、(せん)(ねん)もすぎたのだろうか。((まつ)の)はんぶんは、なくなってしまっていた。あらたに()えてきたのも、まざっている。だいだいみんな、あれはててしまっているので、「ひどい」とひとびとはいう。
 おもいだせずにいることなどなく、おもいかえすなかでも、この(いえ)にうまれたおんなのこがいっしょにかえれなかったのが、なによりもかなしい。ふねのひとも、みんな、こどもはあつまって、さわいでいる。そうしているうちに、いっそう、かなしみにたえられず、ひそかに、こころしれるひととよんだうたは、

 むまれしも かへらぬものを わかやとに こまつのあるを みるかゝなしさ

といった。まだ、たりなかったのだろう。また、つぎのように(よんだ)。

 みしひとの まつのちとせに みましかは とほくかなしき わかれせましや


※1 「まかりのおほちのかた」=具体的(ぐたいてき)になにかはわからないらしい。
※2 「くるときそ ひとはとかく ありける」=国司(こくし)としてたいへんな蓄財(ちくざい)をしてかえってくるひともいるので、こんなことになるのでしょうか。貫之(つらゆき)はそういうことはなかったようですけれども。
※3 「なかゝきこそあれ ひとついへのやうなれは」=『貫之(つらゆき)(しゅう)』につぎのうたがあります。
興風(おきかぜ)がもとに杜若(かきつばた)をつけてやる
  (きみ)宿(やど) わが宿(やど)わける かきつばた うつろはぬとき ()(ひと)もがな」
 貫之(つらゆき)(つま)(とき)(ふみ)(はは))は貫之(つらゆき)離婚(りこん)して藤原(ふじわら)興風(おきかぜ)といっしょになったのでは、という(せつ)があるようです。(そのばあい、なくなったおんなのこの(はは)はまたべつのひと。)このくだりの背景(はいけい)になっているような(かん)じがしなくもありません。
※4 「いとは つらく みゆれと こゝろさしは せむとす」=古語(こご)辞典(じてん)どおりなら「とても薄情(はくじょう)にみえるけれど、お(れい)はしようとおもう」でしょうか。個人的(こじんてき)には、「()む」と解釈(かいしゃく)して、「こころざしはどうなっているんだ、ととがめようとおもう」でもよいような()がします。


おわりに

 わすれがたく、(かかないままにしてしまうことが)()しい(※1)こともおおいけれど、(かき)つくせない。ともあれかくもあれ、はやくとどけよう(※2)。

《おしまい》


※1 「くちをし」=語源(ごげん)は「()()しい」とする(せつ)があります。日記(にっき)にかきのこさないことで、()ちて(わすれられて)しまうことが()しい。そんなニュアンスで(やく)してみました。
※2 「やりてむ」=古語(こご)辞典(じてん)では、「()りてん」と解釈(かいしゃく)して「やぶってしまおう」する(やく)をのせているでしょうか。「()りてん」とする(せつ)は、『土佐日記抄』(1661年)などからみることができます。それよりもふるい「土佐(とさ)日記(にっき)』(片仮名本妙寿院本)」では、本文(ほんぶん)に「(やり)テン(とどけよう)」とかかれています。
 冒頭(ぼうとう)部分(ぶぶん)補足(ほそく)に、貫之(つらゆき)はだれかから依頼(いらい)をうけて『土佐(とさ)日記(にっき)』をかいたのでは、という説があることをかきました。そのばあい、この部分(ぶぶん)解釈(かいしゃく)は「(やり)てん」としたほうが、しぜんに(かん)じられます。

土佐(とさ)日記(にっき)』の依頼(いらい)(しゃ)は?

 貫之(つらゆき)が『土佐(とさ)日記(にっき)』をとどけたあいてのひとりとして、藤原実頼(ふじわらのさねより)候補(こうほ)にあげられています。『貫之(つらゆき)(しゅう)』には、承平(じょうへい)(ねん)(935(ねん))12(がつ)実頼(さねより)との(うた)がのこされています。「殿(との)」が実頼(さねより)です。

「殿の、男・女の(きん)だちの、かうぶりし裳着(もぎ)たまふ夜、殿
  いままでに むかしの人の あらませば もろともにこそ ()みて見ましか
 とて賜へる御返し
  いにしへを 恋ふる心の あるがうへに 君を今日(けふ)までまたぞ 恋ふべき」

 実頼(さねより)のうたの「むかしの(ひと)」を『土佐(とさ)日記(にっき)』の「むかしへひと(なくなったおんなのこ)」と解釈(かいしゃく)する(せつ)もあります。ほかには、実頼(さねより)(つま)藤原(ふじわら)時平(ときひら)(むすめ)だとする(せつ)などもあるようです。
 その()、『土佐(とさ)日記(にっき)』はだれにおくられたのでしょうか。貫之(つらゆき)自筆(じひつ)の『土佐(とさ)日記(にっき)』は、後白河(ごしらかわ)上皇(じょうこう)のたてた蓮華王院(れんげおういん)鎌倉(かまくら)時代(じだい)までたいせつに保管(ほかん)されていたようです。それを藤原(ふじわら)為家(ためいえ)書写(しょしゃ)したものを、さらに臨写(りんしゃ)したものが青谿書屋(せいけいしょおく)(ほん)土佐(とさ)日記(にっき)』ということになるようです。