Shiki’s Weblog
ひとのこころと月のかげ ― 『土佐日記』
2019/12/28
もろこしと このくにとは こと ことなるものなれと つきのかけは おなしことなるへけれは ひとのこころも おなしことにやあらん ― 紀貫之
はじめに
中国の唐と日本とは、ことばは異なるけれど、月のすがたはおなじなのだから、ひとの心もおなじなのだろう。貫之が『土佐日記』にたくしたこの信条は、「漢詩と和歌は対等である」といった信条として理解されています。この文は貫之がかいた『土佐日記』の正月二十日の部分にでてきます。
今回は、『土佐日記』の正月一九日、二十日の日記をいまの字になおしたものをつくってみました。くずし字のよこにそえた青字がいまの活字にしたものです。もとのくずし字の文章は、『古典の批判的処置に関する研究』にある「青谿書屋本」です。青谿書屋本は、貫之自筆本を藤原為家(定家の三男)が書写したものをていねいに書写したものです。一九日、二十日の部分は、日付以外は、もともとひらがなだけでかかれています。
各ページのしたに、いまのことばにしてみたものをかきそえました。まちがっているところもあるかとおもいますが、なるべくしっくりきたことばをえらぶようにしました。
40頁
十九日。(天気だけでなく、きょうはこよみのうえでも「陽錯」で)日がわるいので、ふねをいかせなかった。
二十日。(天気が)きのうまでとかわらないので、ふねをいかせなかった。ひとびとはみんな、ぐちをこぼして、ためいきをつく。しんぱいでこころもとなかったので、ただ日のすぎてしまったかずをきょうでなんにちか、はつか、みそかと、か
※ 「ひあしけれは」は、「天候がわるいので」とする説と「暦の吉凶がわるいので」とする説があるようです。雨、風、波のことであれば、『土佐日記』にはそのとおりかいてある部分があります。ですので、日がわるいというのは、雨、風、波以外のこともありそうです。
承平5年は1月26日も「陽錯」のようです。「廿六日 まことにやあらん かいそくおふといへは よなかはかりより ふねをいたして」という部分は、「二六日。(「陽錯」でふねをだすひとなどいないだろうに、)ほんとうだろうか。海賊がおってくるというので、夜中くらいからふねをだして」というような解釈もできそうです。
41頁
ぞえても、指はかぞえそこなってしまうだろう。とてもこころぼそい。夜は、ねむれもしない。二十日の夜の月がでてしまった。山の端もなくて、海のなかからでてくる。このようなのをみてだろうか。むかし、あべのかなまろというひとが、唐にわたってかえってくるときに、ふねにのるところで、あちらのくにのひとは、はなむけに、わかれをおしんで、りっぱな
※ 二十日の夜の月がでてくるのは、午後10時ごろ。参考:「お月様の満ち欠けと呼び名(月の名前)」。
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からうたをつくったりした。なごりおしかったのだろう。はつかの夜の月がでてきてもまだ、(船にのるところに)いた。その月は海からでてきた。それをみて、なかまろさまが、「わがくにでは、こういううたを神代より神もおよみになった。いまはかみも、なか、しものひとも、このようにわかれおしみ、よろこびもあり、かなしみもあるときには、よむ」とよんだうたは、
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あをうなはら ふりさけみれは かすかなる みかさのやまに いてしつきかも
とよんだ。あちらのくにのひとは、きいてもわからないだろうと、おもわれたけれども、ことばのこころを、男文字で、おもむきをかきだして、こちらのことばをつたえるひとにつたえると、そのこころをわかったのだろうか。ほんとうにおもいのほか、気にいったのだった。唐と
※ 男文字=漢字。
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このくにとは、ことばは異なるけれど、月のすがたはおなじなのだから、ひとのこころもおなじなのだろう。さて、ちょうどいま、そうしたむかしをおもってよんだ、あるひとのうたです。
みやこにて やまのはに みしつきなれと なみよりいてゝ なみにこそいれ
阿倍仲麻呂と李白
阿倍仲麻呂は、留学生として唐にわたりました。漢詩がじょうずで、李白といった唐のゆうめいな詩人たちとも友人になりました。仲麻呂ののった日本にかえる船はとちゅうで漂流してしまいます。仲麻呂がなくなったとおもった李白はつぎの漢詩をよみました。
「哭晁卿衡」 日本晁卿辞帝都 征帆一片繞蓬壷 明月不帰沈碧海 白雲愁色満蒼梧
聡明な仲麻呂を「明月」にたとえて、「碧海」にしずんでしまったことをなげいています。「蒼梧」は蒼梧山という山だそうです。この漢詩は仲麻呂のよんだうたに似ている感じがします。
土佐日記の仲麻呂のうたは、古今和歌集にもほとんどおなじうたがあります。
もろこしにて月を見てよみける この歌は、むかしなかまろをもろこしにものならはしにつかはしたりけるに、あまたのとしをへてえかへりまうてこさりけるを、このくにより又つかひまかりいたりけるにたくひてまうてきなむとていてたちけるに、めいしうといふ所のうみへにてかのくにの人むまのはなむけしけり、よるになりて月のいとおもしろくさしいてたりけるを見てよめるとなむかたりつたふる 安倍仲麿
あまのはら ふりさけみれは かすかなる みかさのやまに いてしつきかも
学校でおそわるうたの意味は、「おおぞらをうえをむいてみれば、春日の三笠の山にでていた月(とおなじ)だよ」といったものでしょうか。けれども、古今和歌集のうたには「複線構造」ということがあるそうです。「あまのはら」に「あをうなはら」、「ふり仰く」に「ふり裂く」、「春日なる」に「微かなる」といった意味をかくすこともできそうです。そうであれば、「碧海を ふり裂いてみれば かすかに 三笠の山に 月(わたし)がでてるかなぁ」というような意味もかくしていたような感じがします。古今和歌集のうたは、原文のひらがなを漢字にしてしまうと、つまらないものになってしまうことがあります。
仲麻呂は、唐で通訳をまじえたりする必要はありません。土佐日記の仲麻呂のストーリーは紀貫之の創作といわれています。仲麻呂は、その後、いまのベトナムになんとかたどりつき、長安にもどることができました。けれども、日本にもどることはかなわず、73歳のときに唐でなくなりました。
『土佐日記』のこころと文化相対主義
『玉勝間』の「からごころ」に、つぎのような文があります。
そもそも人の心は、皇國も外つ國も、ことなることなく、善惡是非に二つなければ、別に漢意といふこと、あるべくもあらずと思ふは、一わたりさることのやうなれど、然思ふもやがてからごゝろなれば、とにかくに此意は、のぞこりがたき物になむ有ける、人の心の、いづれの國もことなることなきは、本のまごゝろこそあれ、からぶみにいへるおもむきは、皆かの國人のこちたきさかしら心もて、いつはりかざりたる事のみ多ければ、眞心にあらず
大意は貫之の信条そのままのようにおもわれます。貫之は漢文が和文よりもすぐれているとかんがえる当時の日本の貴族社会のひとびとに異をとなえました。宣長は、「今はかなといふ物ありて、自由にかゝるゝに、それを捨てて、不自由なる漢文をもて、かゝむとするは、いかなるひがこゝろえぞや」ともいいました。
いまはこうしたことを「文化相対主義」といいます。すべての文化は対等であるという思想です。『土佐日記』は「をとこもすなる日記といふものを をむなもし(女文字)てみんとてするなり」という文で、はじまります。これをふまえれば、貫之は「漢字とひらがなは対等である」といっているようにもおもわれます。じっさい、『土佐日記』の文章はほとんどひらがなでかかれています。
ことし、おおきな台風がきたときに、NHKニュースがつぎのようなツイートをしたことがありました。
【がいこくじん の みなさんへ】
たいふうが つぎの どようび から にちようび、とうかいちほう や かんとうちほう の ちかくに きそうです。とても つよい かぜが ふいて、あめが たくさん ふるかもしれません。きをつけて ください。
このひらがなだけのツイートにたいしては、おおくの批判の声がありました(「「バカにしてる」総ひらがなツイートが炎上した理由と日本の未来」)。なぜでしょうか。
いまの古文の授業でならう『土佐日記』は、原文を漢字かなまじりの文章に改竄したものになっています。貫之のひらがなの表記をいじらずに『土佐日記』をおしえていれば、こうした批判はなかったのではないでしょうか。古文をおしえようとするときに、表記だけは現代の公用文のスタイルにかきかえておしえようとするのは、ふしぎな感じもします。
ことしは、「KuroNetくずし字認識サービス」がはじまりました。AIのちからをかりて、くずし字の文章をそのままよめるようになってきています。当時の資料をそのままつかった授業もできるようになるといいですね。
参考文献
「土佐日記」については、いろいろな学術分野から本がでています。あれこれとみくらべてみると、学校でならうとおりのことばかりではなくて、おもしろかったりします。
- 『古典の批判的処置に関する研究』, 池田亀鑑, 1941
「青谿書屋本」の土佐日記のひらがなの字体は、『古典の批判的処置に関する研究』第三部に一覧表があります。いまとは、かたちのちがう字をおぼえれば、わりとそのままよめて、おもしろかったりします。 - 『歴史から読む『土佐日記』』, 木村茂光編, 2010
歴史学の研究から、文字だけではわかりにくい、当時の館や船のイメージなどもつかみやすくなります。 - 『新潮日本古典集成〈新装版〉 土佐日記 貫之集』, 木村正中校注, 2018
- 『古典再入門―『土佐日記』を入りぐちにして』, 小松英雄, 2006
- 『丁寧に読む古典』, 小松英雄, 2008
- 『土左日記を読みなおす: 屈折した表現の理解のために』, 小松英雄, 2018
『古典再入門』で一二月二一日の「かとで」を「仮住まいに移った」としたのはあやまりとしています。そのままふねに移動している。 - 「具注暦/仮名暦」, Shinobu Takesako
- 『貫之集全釈』, 田中喜美春, 田中恭子, 1997
「あとがき」の文章がとても印象にのこります。 - 「土佐日記全注釈」, 萩谷朴, 1967
- 「青谿書屋本『土佐日記』の極めて尠ない独自誤謬について」, 萩谷朴, 1988