Shiki’s Weblog
本居宣長『玉勝間』をやさしい日本語にしてみる
2018/07/18, 2018/07/20(一部訂正)
はじめに
本居宣長(1730-1801)の『玉勝間』をできるだけ「やさしい日本語」にかきなおす練習をしてみていました。もともと、漢語(字音語)をほとんどさけてかかれた文章です。はじめからことばはよくえらばれています。かきなおすときは、一文のながさを五〇字以下にするように気をつけてみました。日本語の表記は、「わたしの日本語表記のルール 2018 v2」にしたがっています。
資料は『全訳玉勝間詳解』(前嶋 成、大修館、昭和33)を参考にしています。ここでは、本居宣長記念館のサイトの『玉勝間』抄[1][2]から、原文をひいて、そのあとにかきなおしたものをのせています。訳にはまちがっているところもあるかとおもうので、正確なところは古文の先生にきいてください。
「あがたゐのうしは古へ学のおやなる事」
この章は、「本居宣長『玉勝間』全訳注(二)」にも訳文があります。そちらも参考にしています。もともとは、この全訳注をみて、『玉勝間』のおもしろさに気づいたのでした。
原文
あがたゐのうしは古へ學のおやなる事[四]
からごゝろを清くはなれて、もはら古へのこゝろ詞をたづぬるがくもむは、わが縣居ノ大人よりぞはじまりける、此大人の學の、いまだおこらざりしほどの世の學問は、歌もたゞ古今集よりこなたにのみとゞまりて、萬葉などは、たゞいと物どほく、心も及ばぬ 物として、さらに其歌のよきあしきを思ひ、ふるきちかきをわきまへ、又その詞を、今のおのが物としてつかふ事などは、すべて思ひも及ばざりしことなるを、今はその古へ言をおのがものとして、萬葉ぶりの歌をもよみいで、古へぶりの文などをさへ、かきうることとなれるは、もはら此うしのをしへのいさをにぞ有ける、今の人は、ただおのれみづから得たるごと思ふめれど、みな此大人の御陰によらずといふことなし、又古事記書紀などの、古典をうかゞふにも、漢意にまどはされず、まづもはら古へ言を明らめ、古へ意によるべきことを、人みなしれるも、このうしの、萬葉のをしへのみたまにぞありける、そもそもかかるたふとき道を、ひらきそめたるいそしみは、よにいみしきものなりかし、
訳文
いにしえのまなびの親、賀茂真淵先生
からごころから、きよく、はなれて、ひたすら、いにしえの心やことばをしらべてみよう。こういう学問は、わたしの先生、賀茂真淵先生がはじめたものです。
先生の学問がはじまるまえの世の学問は、まるでちがっていました。歌は『古今和歌集』とそのあとのものだけをしらべていました。『万葉集』などは、あまりにも、とおいもので、しらべられるとは、おもってもいませんでした。『万葉集』の歌のよしあしもおもうことはできませんでした。ふるいか、あたらしいかも、わからなかったのです。ましてや、そのことばを、いま、じぶんでもつかってみようなどとは、おもいつくこともありませんでした。
いまは、そのいにしえのことばを、じぶんたちのものにしています。万葉のような歌をよむこともできるようになりました。いにしえながらの文などを、かくことさえできるようになりました。これはひとえに、先生のおしえによるものです。
いまのひとは、これをじぶんで、できるようになったとおもっているようにみえます。けれども、なにもかもすべて先生のおかげなのです。
『古事記』や『書記』など、いにしえの本をしらべるときは、からごころにまどわされてはいけません。まずは、ひたすら、いにしえのことばを、あきらかにしなければいけません。いにしえのこころで、よみとらないといけません。こうしたことを、いまでは、だれでもがしっています。こうしたことも、先生の万葉のおしえのおがけなのです。
先生は、こんなにも、とうとい道をはじめてひらかれたのです。それは、ほんとうにすばらしいことでした。
「古書のこと その四」
この章の前半部分は、丸谷才一さんが『文章読本』で漢語をきらったせいで文章がややこしい、とかいています。やさしい日本語にかきなおしてみると、どうでしょうか。
原文
又[一三]
萬のふみども、すり本と寫し本との、よさあしさをいはむに、まづすり本の、えやすくたよりよきことは、いふもさら也、しかれども又、はじめ板にゑる時に、ふみあき人の手にて、本のよきあしきをもえらばずてゑりたるは、さらにもいはず、物しり人の手をへて、えらびたるも、なほひがことのおほかるを、一たび板にゑりて、すり本出ぬ れば、もろもろの寫し本は、おのづからにすたれて、たえだえになりて、たゞ一つにさだまる故に、誤りのあるを、他本もてたゞさむとすれども、たやすくえがたき、こはすり本あるがあしき也、皇朝の書どもは、大かた元和寛永のころより、やうやうに板にはゑれるを、いづれも本あしく、あやまり多くして、別 によき本を得てたゞさざれば、物の用にもたちがたきさへおほかるは、いとくちをしきわざなりかし、然るにすり本ならぬ 書どもは、寫し本はさまざまあれば、誤りは有ながらに、これかれを見あはすれば、よきことを得る、こは寫本にて傳はる一つのよさ也、然はあれども、寫本はまづはえがたき物なれば、廣からずして絶やすく、又寫すたびごとに、誤りもおほくなり、又心なき商人の手にてしたつるは、利をのみはかるから、こゝかしこひそかにはぶきなどもして、物するほどに、全くよき本はいとまれにのみなりゆくめり、さればたとひあしくはありとも、なほもろもろの書は、板にゑりおかまほしきわざなり、殊に貞觀儀式西宮記北山抄などのたぐひ、そのほかも、いにしへのめでたき書どもの、なほ寫本のみねてあるが多きは、いかでいかでみないたにゑりて、世にひろくなさまほしきわざ也、家々の記録ぶみなども、つぎつぎにゑらまほし、今の世大名たちなどにも、ずゐぶんに古書をえうじ給ふあれど、たゞ其家のくらにをさめて、あつめおかるゝのみにて、見る人もなく、ひろまらざれば、世のためには何のやくなく、あるかひもなし、もしまことに古書をめで給ふ心ざしあらば、かゝるめでたき御世のしるしに、大名たちなどは、其道の人に仰せて、あだし本どもをもよみ合せ、よきをえらばせて、板にゑらせて、世にひろめ給はむは、よろづよりもめでたく、末の代までのいみしき功なるべし、いきほひ富る人のうへにては、かばかりの費は、何ばかりの事にもあらで、そのいさをは、天の下の人のいみしきめぐみをかうぶりて、末の世までのこるわざぞかし、かへすがえすこゝろざしあらむ人もがな、
訳文
古書のこと その四
すべての本は、刷った本と、かきうつした本にわけることができます。それぞれ、どんなよいところと、わるいところがあるでしょうか。
まず、刷った本は、手にいれやすく、あたりやすい、ということがあります。これは、いうまでもありません。
けれども、刷った本には、よくないところもあります。よくしっているひとがえらんでも、本には、うつしあやまりがおおくあるものです。本のあきないをしているひとが、よしあしもわからずにえらんだ本は、いうまでもありません。
それでも、いちど、刷りはじめて本がでまわると、かきうつた本は、しぜんとすたれてしまいます。そうすると、刷った本だけしかのこりません。刷った本のあやまりをべつの本でただそうとしても、なかなか手にいれることもできません。
日本の本は、だいたい元和・寛永ころから、だんだんと、版におこしてきました。どの本も、できがまずくて、あやまりがたくさんあります。ほかによい本を手にいれて、たださないと、やくにたたないような本さえたくさんあります。これは、ほんとうにざんねんなことです。
つぎに、刷った本がない本には、かきうつした本はさまざまあります。うつしあやまりはあるものですが、あれこれ見くらべてみると、いいこともあります。これは、かきうつした本でつたえていくことの、ひとつのよさです。
そうではあるのですが、かきうつした本は、手にいれるのが、まずたいへんです。いきわたることもなく、なくなってしまいがちです。また、かきうつすたびに、あやまりもおおくなります。
また心ないひとは、ただ、もうけようとして、本をつくっています。それで、あちらこちらと、だまって、はぶかれていたりするのです。ほんとうによくかきうつされた本は、もう、まれにしかなくなってしまいそうです。
ですから、たとえできはよくなくても、おおくの本を版にしておいてほしいものです。とくに、貞観儀式・西宮記・北山抄といった本です。そのほかも、いにしえのおおくのよい本が、いまだにかきうつした本しかありません。なんとか、すべて版におこして、世にひろめてほしいものです。
さらに、家いえの記録なども、つぎつぎに版にしてほしいものです。
いまでは、大名のようなひとたちにも、できるかぎりの古書をあつめているひとがいます。けれども、家の蔵におさめるだけで、見るひともなく、ひろめることもないことがあります。それでは、世のためには、なんのやくにもたっていませんし、あつめたかいもありません。
もしほんとうに古書をめでる心ざしがあるのでしたら、大名のようなひとはこうされてはどうでしょう。みなさんの御代のしるしにもなることでしょう。
その道のひとに、またべつのかきうつした本とよみあわさせてください。そして、よいものをえらんで版にして世にひろめられたら、なによりです。のちのちの代まで、すばらしい、いさおとなることでしょう。
いきおいがあって、お金もあるひとたちにとっては、これくらいのことは、どうということはないでしょう。そのいさおは、天のもとで、おおきなめぐみをうけて、のちのちの世までのこるにちがいありません。
かさねがさね、心ざしのあるひとがいたら、とおもいます。
「からごころ」
『玉勝間』のなかで、とても有名な章のひとつです。
原文
からごゝろ[二五]
漢意とは、漢國のふりを好み、かの國をたふとぶのみをいふにあらず、大かた世の人の、萬の事の善惡是非を論ひ、物の理りをさだめいふたぐひ、すべてみな漢籍の趣なるをいふ也、さるはからぶみをよみたる人のみ、然るにはあらず、書といふ物一つも見たることなき者までも、同じこと也、そもからぶみをよまぬ 人は、さる心にはあるまじきわざなれども、何わざも漢國をよしとして、かれをまねぶ世のならひ、千年にもあまりぬ れば、おのづからその意世の中にゆきわたりて、人の心の底にそみつきて、つねの地となれる故に、我はからごゝろもたらずと思ひ、これはから意にあらず、當然理也と思ふことも、なほ漢意をはなれがたきならひぞかし、そもそも人の心は、皇國も外つ國も、ことなることなく、善惡是非に二つなければ、別に漢意といふこと、あるべくもあらずと思ふは、一わたりさることのやうなれど、然思ふもやがてからごゝろなれば、とにかくに此意は、のぞこりがたき物になむ有ける、人の心の、いづれの國もことなることなきは、本のまごゝろこそあれ、からぶみにいへるおもむきは、皆かの國人のこちたきさかしら心もて、いつはりかざりたる事のみ多ければ、眞心にあらず、かれが是とする事、實の是にはあらず、非とすること、まことの非にあらざるたぐひもおほかれば、善惡是非に二つなしともいふべからず、又當然之理とおもひとりたるすぢも、漢意の當然之理にこそあれ、實の當然之理にはあらざること多し、大かたこれらの事、古き書の趣をよくえて、漢意といふ物をさとりぬ れば、おのづからいとよく分るゝを、おしなべて世の人の心の地、みなから意なるがゆゑに、それをはなれて、さとることの、いとかたきぞかし、
訳文
からごころ
「からごころ」とは、漢民族の国のまねをしたり、とうとんだり、ということだけをいうのではありません。
みなさんは、どんなことでも、よいとか、わるいとか、ただしいとか、ちがうとかと、いいます。してよいこと、わるいことを、きめつけていたりもします。そういったことが、すべてみな、漢民族の本にかかれているままだったりすることをいうのです。
からごころは、漢民族の本をよんでいるひとにだけあるものではありません。本を一冊もみたことがないというひとにも、おなじようにあります。「漢民族の本をそもそもよんでいないひとには、からごころはうまれないのでは。」そう、おもわれるひともあるかもしれません。
けれども、わたしたちは、漢民族の国はなにもかも、よいとおもってきました。そして、千年あまりにもわたって、漢民族のまねをしてきたのです。からごころは、しぜんに世のなかにいきわたっていきました。いまでは、ひとの心の奥そこにしみついて、もうあたりまえのようになっています。
「わたしには、からごころはない」とおもっているひともあるでしょう。あるいは、「これはからごころではない。そうあるべき、きまりだ」とおもっていることもあるでしょう。けれども、そうしたことさえも、からごころからは、はなれられていないのです。
「ひとの心は、わたしたちも、ほかの国のひとたちも、おなじはずだ。よしあしにふたつはないのだから、べつにからごころなんて、ないのではないか。」すこしかんがえて、そのようにもおもわれることもあるかもしれません。
けれども、そうおもうのも、からごころからきているのです。とにかく、からごころというのは、とりのぞくことがむずかしいものなのです。
ひとの心には、どの国でもかわることのない、ほんとうのまごころもあるでしょう。けれども、漢民族の本は、おおげさなことばをつかって、さかしい心で、いつわりかざってばかり。そういうことがおおくて、まごころではないのです。
かれらが、よいとすることが、じつは、よいことではない。かれらが、わるいとすることが、ほんとうは、わるいことではない。そういうことも、おおいのです。ですから、「よしあしにふたつはない」ともいえないのです。
また、あるいは、そうあるべきだと、おもいとれるものもあるかもしれません。しかしそれも、からごころとしてはそうだというだけで、じつは、そうではないことがおおいのです。
いにしえの本でいわれていることをよくまなべば、からごころというものをさとることもできるでしょう。そうすれば、おおかた、こうしたことは、しぜんによくわかるようになります。けれども、おしなべて、みなさんの心の地はからごころです。ですから、からごころからはなれて、こうしたことをさとるというのは、ほんとうに、むずかしいのです。
メモ: 漢民族最後の王朝の明がほろんだのが1644年。日本が鎖国をはじめたのは、その前後のこと。おもいとる=しんじる。
「わすれ草」
ものおぼえがわるくて、ということをかいている章です。本居宣長はとてもおおくのメモをとっていて、それがのこっているそうです。梅棹忠夫さんは『知的生産の技術』のなかで、宣長は整理の仕かたがうまかったのだろう、とかいています。
原文
わすれ草 四
からぶみの中に、とみにたづぬべき事の有て、思ひめぐらすに、そのふみとばかりは、ほのかにおぼえながら、いづれの巻のあたりといふこと、さらにおぼえねは、たゞ心あてに、こゝかしことたづぬ れど、え見いでず、さりとていとあまたある巻々を、はじめよりたづねもてゆかむには、いみしくいとまいりぬ べければ、さもえ物せず、つひにむなしくてやみぬるが、いとくちをしきまゝに、思ひつゞける、
ふみみつる跡もなつ野の忘草老てはいとゞしげりそひつゝ
もとより物おぼゆること、いとともしかりけるを、此ちかきとしごろとなりては、いとゞ何事も、たゞ今見聞つるをだに、やがてわすれがちなるは、いといといふかひなきわざになむ、
訳文
わすれ草
からぶみのなかに、いそいでしらべたいことがありました。おもいをめぐらすと、どの本とだけは、ほのかにおぼえています。ですが、どの巻のあたりということまでは、おもいだせません。
ただ心あてに、ここかな、あそこかな、とみてみたのですが、みつけることができません。あまりにも巻がおおくて、はじめからみていくほどのひまもありません。それで、そうすることもできず、ついにむなしくて、やめてしまいました。あまりにくちおしくて、おもいつづけていたときの歌です。
ふみみつる跡もなつ野の忘草老いてはいとどしげりそひつつ
(としをとったら、ふみつけたあともみえないくらい、野はらに、わすれ草が、ますますしげってしまったんだ。)
もともと、ものおぼえはよくはなかったのです。それが、このとしになると、もうどんなことでも、わすれてしまいがちです。たったいま、みたり、きいたりしたしたことでさえもです。もう、いっても仕かたのないことですね。
メモ: からぶみ=中国の書物。ふみみつる=「ふみ」は「踏み」と「文」と両方の意味。
「手かく事」
宣長がじぶんの字がへただとおもっていたというお話。『知的生産の技術』のなかの「かき文字の美学と倫理学」も似たようなお話です。梅棹さんは、目がわるくならなければ、習字をするつもりだったそうで、机のうえにすずりと筆がおいてありました。
原文
手かく事[二八八]
よろづよりも、手はよくかゝまほしきわざ也、歌よみがくもんなどする人は、ことに手あしくては、心おとりのせらるるを、それ何かはくるしからんといふも、一わたりことわりはさることながら、なほあかず、うちあはぬこゝちぞするや、のり長いとつたなくて、つねに筆とるたびに、いとくちをしう、いふかひなくおぼゆるを、人のこふまゝにおもなくたんざく一ひらなど、かき出て見るにも、我ながらだに、いとかたはに見ぐるしう、かたくななるを、人いかに見るらんと、はづかしくむねいたくて、わかゝりしほどに、などててならひはせざりけむと、いみしうくやしくなん、
訳文
手がきのこと
いろいろあるけれども、字はじょうずにかきたいものです。歌をよんだり、学問をしたりするひとが、あまりに字がへただと、心おとりします。
「字がへたでも、なにもさしつかえはしないでしょう。」 そういわれてみても、いちおうはもっともなのですが、まだどこかふさわしくない感じがします。
わたしは、ほんとうに字がへたで、いつも筆をとるたびに、いやで、これはだめだとおもいます。それでも、ひとにたのまれて、仕かたなく、たんざくをひとひら、かいてみたりすることがあります。われながら、ほんとうに、ふぞろいで、みぐるしい、おもしろみもない字です。それをひとはどうみるだろうとおもったら、はずかしくて、胸がいたくなります。わかいときに、なぜ習字はしなかったのだろうと、とてもくやしくおもっています。
メモ: 心おとり=幻滅。
「かなづかい」
歴史的かなづかいのお話です。いまのかなづかいでも、『とおくの おおきな こおりの うえを おおくの おおかみが とお とおった』とかは、おぼえないといけませんね。
原文
かなづかひ[三四七]
假字づかひは、近き世明らかになりて、古へ學びするかぎりの人は、心すめれば、をさをさあやまることなきを、宣長が弟子共の、つねに歌かきつらねて見するを見るに、誤りのみ多かるは、又いかにぞや、抑てにをはのとゝのへなどは、うひまなびの力及ばぬふしある物なれば、あやまるも、つみゆるさるゝを、かなづかひは、今は正濫抄もしは古言梯などをだに見ば、むげに物しらぬわらはべも、いとよくわきまふべきわざなるを、猶とりはづして、書きひがむるは、かへすかへすいかにぞや、これはた心とゞめず、又ひたぶるにまなびおやにすがりて、たがへらむは、直さるべしと、思ひおこたりて、おのが力いれざるからのわざにしあれば、かつはにくゝさへぞおぼゆる、しか人にのみすがりたらんには、つひにかなづかひをば、しるよなくてぞやみぬべかりける、さればいゐえゑおを、又はひふへほわゐうゑを又しちすつの濁音など、いさゝかもうたがはしくおぼえむ假字は、わづらはしくとも、それしるせるむみを、かゝむたびごとにひらき見て、たしかにうかべずは、やむべきにあらず、何わざも、おのがちからをいれずては、しうることかたかんべきわざぞ、人の子の、としたくるまで、おやのてはなるゝことしらざらむは、いといといふかひなからじやは、
訳文
かなづかい
かなづかいは、さいきん、あきらかになりました。いにしえのことをまなんでいるひとは、心もすんでいて、めったにまちがえることもありません。
わたしは、ふだん、おしえ子たちに、歌をかきならべさせてみています。それをみると、あやまりがおおいのですが、また、どうしてでしょうか。「てにをは」をととのえたりするのは、初学者には力のおよばないところもあります。ですから、あやまるのも仕かたありません。けれども、かなづかいは、いまは『正濫抄』や『古言梯』などがあります。それらをみるだけで、まったく、ものをしらない子どもでも、わかることです。それなのに、おしえ子たちは、なお、まちがえて、かきあやまります。なんどかんがえてみても、どうしてでしょうか。
かなづかいに心をとどめず、ひたすら先生にすがっているのでしょうか。まちがっていても、なおしてくれるとおもいおこたって、じぶんで力をいれていないのでしょうか。そうだとしたら、にくささえおぼえます。そのようにひとにすがってばかりいては、かなづかいをしることもないまま、おわってしまうことでしょう。
あやまるのは、「いゐえゑおを」、「はひふへほ」、「わゐうゑを」、「じぢずづ」などです。すこしでも、うたがわしいとおもったら、わずらわしくても、かなづかいの本をかくたびに見なさい。たしかに、おもいうかべられるようになるまでは、やめてはいけません。
どんなことでも、じぶんで力をいれなければ、できるようになるのは、むずかしいことです。年をとっても、先生の手からはなれることをしらないようでは、まったく話のしがいもありません。
「後の世ははづかしきものなる事」
学問は進歩するものだということがかかれています。
原文
後の世ははづかしきものなる事[六九三]
安藤ノ為章が千年山集といふ物に、契沖の万葉の注釈をほめて、かの顕昭仙覚がともがらを、此大とこになぞらへば、あたかも駑駘にひとしといふべしといへる、まことにさることなりかし、そのかみ顕昭などの説にくらべては、かの契沖の釈は、くはふべきふしなく、事つきたりとぞ、たれもおぼえけむを、今又吾ガ県居ノ大人にくらべてみれば、契沖のともがらも又、駑駘にひとしとぞいふべかりける、何事もつぎつぎに後の世は、いとはづかしきものにこそありけれ、
※ 駑駘=『玉勝間』抄では駑胎となっていますが、『全訳玉勝間詳解』では駑駘となっています。
訳文
のちの世では、はずかしいものです
安藤為章の『千年山集』という本に、契沖の万葉の注釈を、こう、ほめているところがあります。「顕昭や仙覚のなかまたちは、契沖とくらべると、あたかも駑駘にひとしいといえる。」ほんとうに、それくらいちがいます。
契沖の注釈は、むかし顕昭などが説いていたこととくらべれば、なにもつけくわえる点がありません。やりつくされていると、だれでもおもうでしょう。
けれども、また、いま、わたしたちの先生、賀茂真淵先生とくらべてみてください。契沖のなかまたちも、また、駑駘にひとしいということができるでしょう。
なにごとも、つぎつぎに、のちの世では、だれでも、はずかしいものです。
メモ: 大とこ=大徳、高僧。ここでは契沖のこと。駑駘=のろまな馬。才能がおとっていること。
「おのが京のやどりの事」
宣長が晩年に京都をおとずれたときのおはなしです。いまも、このとき宣長のとまったところに「鈴屋大人寓講学旧地」という石標がたっています。じつは、よくまえをとおるのですが、ぜんぜん気づいていませんでした。
原文
おのが京のやどりの事[八五一]
のりなが、享和のはじめのとし、京にのぼりて在しほど、やどれりしところは、四條大路の南づらの、烏丸のひむかしなる所にぞ有けるを、家はやゝおくまりてなむ有けれど(ありければ、物のけはひうとかりけれど、/『全訳玉勝間詳解』)朝のほど夕ぐれなどには、門に立出つゝ見るに、道もひろくはればれしきに、ゆきかふ人しげく、いとにぎはゝしきは、ゐなかに住なれたるめうつし、こよなくて、めさむるこゝちなむしける、京といへど、なべてはかくしもあらぬを、此四條大路などは、ことににぎはゝしくなむありける、天の下三ところの大都の中に、江戸大坂は、あまり人のゆきゝぬ多く、らうがはしきを、よきほどのにぎはひにて、よろづの社々寺々など、古のよしあるおほく、思ひなしたふとく、すべて物きよらに、よろづの事みやびたるなど、天の下に、すままほしき里は、さはいへど京をおきて、外にはなかりけり、
訳文
京都にいたときの宿のこと
わたしは、享和のはじめの年、京都にのぼっていました。宿は、四条通ぞいを、烏丸から東にいった南がわにありました。家はややおくまったところにあったので、もののけはいは、よくわかりませんでした。
それで、朝のうちや、夕ぐれなどに、よく門までいって立っていました。ひろくあかるい道は、ゆきかうひとがおおくて、とてもにぎやかにみえました。いなかにすみなれた目にうつったものは、こよなくて、目もさめるここちでした。
京都といっても、おしなべてみれば、ここまでではありませんが、四条通などは、とてもにぎやかでした。
日本の三つのおおきなみやこのなかで、江戸と大阪は、あまりにひとのゆききがおおくて、さわがしすぎます。京都は、ほどよいにぎわいです。たくさんの神社やお寺など、いにしえからのゆかりのあるものもおおく、とうといおもいがします。すべてのものがきよらかで、あらゆることがみやびています。
日本ですんでみたいとおもうみやこは、やはり京都をおいて、ほかにはありません。
メモ: 享和=1801~1804年。こよない=とてもちがう。
「今の世の人の名の事」
キラキラネームというのは、日本にはむかしからあったのだそうです。その一例として、『玉勝間』のこの部分がよくでてきます。
原文
今の世の名の事[九三六]
近き世の人の名には、名に似つかはしからぬ字をつくこと多し、又すべて名の訓は、よのつねならぬがおほきうちに、近きころの名には、ことにあやしき字、あやしき訓有て、いかにともよみがたきぞ多く見ゆる、すべて名は、いかにもやすらかなるもじの、訓のよくしられたるこそよけれ、これに名といふは、いはゆる名乗実名也、某右衛門某兵衛のたぐひの名のことにあらず、さてまた其人の性といふ物にあはせて、名をつくるは、いふにもたらぬ、愚なるならひ也、すべて人に、火性水性など、性といふことは、さらなきことなり、又名のもじの、反切といふことをえらぶも、いと愚也、反切といふものは、たゞ字の音をさとさむ料にこそあれ、いかでかは人の名、これにあづからむ、
訳文
さいきんのひとのなまえ
さいきんのひとのなまえには、なまえにふさわしくない字がよくつかわれています。もともと、なまえのよみかたは、ふつうのよみかたではないことがおおいものです。かわった字や、かわったよみかたのせいで、どうにもよみにくい。
ちかごろは、とくに、かわったなまえがおおくみられます。なまえというのは、よみかたのよくしられている、だれにもやさしい字でつけるのがよいのです。
ここで、なまえといっているのは、いわゆる実名のことです。なに右衛門、なに兵衛のような、なまえのことではありません。
それから、そのひとの「性」にあわせて、なまえをつけるというならわしがあります。これも、あきれるほど、おろかなことです。ひとに、火性、水性などといった、性というようなものは、もちろんありません。
また、なまえの字に、「反切」をえらぶのも、とてもおろかなことです。反切というのは、ただ字の音をつたえるためにあるものです。どうしてひとのなまえに、反切がかかわるのでしょうか。
「仮字」
原文
假字[一〇〇一]
皇國の言を、古書どもに、漢文ざまにかけるは、假字といふものなくして、せむかたなく止事を得ざる故なり、今はかなといふ物ありて、自由にかゝるゝに、それを捨てて、不自由なる漢文をもて、かゝむとするは、いかなるひがこゝろえぞや、
訳文
かなもじ
日本のことばを、いにしえの本などでは、漢文のようにかいてあるものがあります。これは、まだ、かながなくて、仕かたなく、やむをえずそうしたのです。いまは、かながあるので、自由にかくことができます。それなのに、かなをすてて、不自由な漢文でかこうとするのは、とんだこころえちがいです。
まとめ
『玉勝間』は、もともと漢字使用率のひくい文章です。それを「わたしの日本語表記のルール 2018 v2」で現代文にすると、漢字使用率は6%くらいになりました。梅棹忠夫さんの文章がページによっては9%くらいだったりします。じぶんでも10%をきるくらいでかけるようになりたかったので、よい勉強になった感じがします。いまでは、なじみのなくなってしまった和語もいろいろとみつかりました。柳田国男さんもかかれていますが、和語は辞書をひかなくてもなんとなく意味はわかったりするものですね。