2015年6月10日水曜日

新キーボード プロジェクト? - NISSE Mサイズまでの長い道のり

エスリルでは、今月からキーピッチ17.5mmのNISSE Mサイズの受注を開始しています(標準的なキーボードのキーピッチは約19mmです)。手の大きさの個人差はかなり大きく、学術的には、毎日長時間使われる方も多いキーボードに関しては、"one-size-fits-all"という考え方によらずに、それぞれのユーザーの手の大きさにあった、特により小さなキーボードが提供されることが期待されていました。

NISSE Mサイズ(手前)とLサイズ

今回はキーピッチ17.5mmのNISSE Mサイズの実現に至るまでの道のりを少し長いスパンで紹介したいと思います。

BTRON


1987年、松下電器(現Panasonic)からBTRONパソコンの試作機開発成功のニュースが流れました(実機の写真がこちらの記事に載っています)。この当時のBTRONへの期待感はものすごいものがありました。Windows 2.0の発売前で、オーバーレイ ウィンドウでマルチタスクのパソコンというだけでもすごかったのです。まだWindowsはタイリング ウィンドウ、Mac OSはシングルタスク、という時代でした。

その中でも、特に目を引いたのはその独特な形状のキーボードでした。当時のパソコン雑誌の付録にもTRONキーボードのペーパークラフトが付いてきて、来年には発売されるから、いまからタッチタイプの練習をしておこう、みたいな企画まであったように記憶しています(NISSEでペーパークラフトを配布しているのはこの影響もあったりします)。TRONプロジェクトの計画では、キーボードはS・M・Lの3サイズが提供されることが期待されていました。

TRONキーボードは1991年になって、ようやくNECのPC-9801にも接続可能なMサイズのタイプが1種類一般向けに発売されました。Windowsはすでに3.0になっていて、DOS/Vの普及がはじまった時期とも重なり、インターフェイスがBTRONかPC-9801シリーズというのは時期も悪かったような印象がありました。自分の使っているパソコンも既にAT互換機になってしまっていたのでした。

自作開始


それから20年近くたって、やっぱりTRONキーボードは使ってみたいなぁ、ということで、2004年の暮れに1台作ってみることにしました。キーボード マニアは最後は大体自作にたどり着くような気がします(笑)。

自作1号機

1号機はせっかくプリント基板を起こしたのに配線が間違っていた、という失敗作(はじめから空中配線で良かった、という)。ただこの形状ではキースイッチの位置がかなり高くなってしまってアームレストが必須ということに気付いたのだけは一応の成果でした。

自作2号機

すぐに作りなおした2号機は基板前縁を斜めにカットするデザインに変えています。もうこの2005年の時点で3枚の基板の基本構成や外形はNISSEと同じになっています。この形状であれば、実際にアームレストなしでも自然に使うことができる、ということを確かめられたのも良かった点のひとつです。

自作3号機

1号機, 2号機までは、ALPSスイッチを使っていたこともあって、キーピッチは17.5mmくらいになっていました(実物はもう残っていません)。TRONキーボードのMサイズは16mmで、17.5mmでは実際にやや大き過ぎる感じがありました。そこで、ALPSスイッチよりも寸法の小さなCherryのMXスイッチに変更して、キーピッチを16mmで作りなおしたのが3号機です。

この3号機は2005年から2010年まで使っていたのですが今でも問題なく動きます。Cherry MXスイッチの5,000万回という寿命はなかなかすごいものがあります。

3号機で唯一気になっていたのは小指部分のキーでした。自然に小指を動かした時の角度と小指のキーの並んでいる角度が微妙に合わず、タッチタイプが意外としにくかったのです。

自作4号機

問題はキーピッチかも、ということで2010年にキーピッチ15mmで4号機を作ってみました(ちなみにTRONキーボードのSサイズは14mmだそうです) 。ここまで小さくすると小指の違和感もなく、なかなか使いやすいものでした。ただコーヒーとかをこぼしたりしすぎた所為もあって(汗)、2013年には新しいものが必要になってきました(使っているスイッチが液体の侵入に弱く、ときどきスイッチを新品のものに交換して使ったりしていたのでした)。

新キーボード?


実際に新しいキーボードを作るとなると結構時間を取られるので、他社のエルゴノミックキーボードを使ってみたり、自作3号機を復帰させてみたりしていたのですが、4号機の代わりとしてはどうも、ということではじめたのがこの「新キーボード プロジェクト?」でした。

最初の新キーボードのスケッチ

上の画は、今ゼロから作るとしたらこんな感じかな、と2013年に書いた最初のスケッチ。TRONキーボードほどは小指部分を傾斜させない代わりに、もう少し大きめのキーピッチにしてみたいな、というくらいのイメージでした。キーピッチは17.5mmを想定していました。

新キーボードのプロトタイプの前で

ただ実際に作ることを想定すると既成品のない17.5mm用のキーキャップを作るのは大変、ということで標準の18.8mmでなるべく良いモノを、ということに方針を変更してできたのが新キーボードでした。「新キーボード プロジェクト」とラベルのついた一連のここのブログ記事は、もともとはこの過程をまとめていたものです。

最初の新キーボードのプロトタイプはスケッチを書いてから2か月足らずで完成しているので、実際には思ったよりも早く出来上がっています。それも大半はモックアップを作っていた時間で、基板設計に関してはKiCadのおかげでかなり短縮できました。

これでまたMXスイッチの自分の手にあったキーボードができたと喜んでいたところで、Facebookの「親指シフト グループ」の方たちからお声がかかり、これはどうやらほかにも欲しそうな方たちがいらっしゃる様子、ということで「プロジェクト?」だったものを、本当の「プロジェクト」として進めて行くことにしました。

NISSE


基板の設計はもうできていたものの、実際に商品としてまとめていくときに一番苦労したのは実は筐体部分でした。3Dプリンタが流行っているとはいっても、製品となると3Dプリンタの出力のままでは厳しいものがあるし、逆に金型までおこすとなるとNISSEの生産数ではコスト面で合いません。そこで新キーボードの筐体は精密板金で進めていくことにしました。

精密板金によるアルミ筐体を使った製品仕様のNISSE

ところが、一見単純に見えるNISSEの形状を精密板金で仕上げられる製作所がなかなか見つからなかったのです。問い合わせた製作所の半分は形にすること自体が不可能という回答でした。小さなMakersの場合、製造工程の大半は他の製作所等にお願いすることになります。製作所の得意・不得意もありますし、要求にあった製作所を見つけるのには少し時間がかかると考えておいた方が良いかもしれません。

その後、NISSEは部品単価をより抑えられるように、プリント基板は4回、筐体も1回設計変更をして現在に至っています。ごく一部の方向けと思っていたNISSEも、FCC Part 15 クラスB機器としての要件をクリアして、アメリカまで届けるようなことになったのは、当初はまったく想定していなかった出来事でした。

NISSE Mサイズ


今回、2015年6月から新たに提供をはじめたNISSE (Mサイズ)は、新キーボード プロジェクト開始当初に一番使いたかった、標準の18.8mmよりも小さな17.5mmのキーピッチを採用しています。エルゴノミック キーボードには興味があったのだけれど、実際に触ってみたら大き過ぎて手に合わなかったという経験がある方は、ぜひ一度NISSEのMサイズを試してみてください。

NISSEは前腕を机上やアームレストに置いたままの姿勢で利用できるように作っています。古いタイピングの教科書では肘を直角にして腕を浮かせて打鍵するように説明しているものもあるかと思いますが、人間工学的には前腕(手首ではないです)を支持台に乗せたまま、楽な姿勢でキーボードを利用することが勧められています。LサイズとMサイズどちらが良いか迷われたときは、前腕を動かさずに各キーに自然に指が届くサイズのNISSEを選んでください。手の大きな方でも、Mサイズの方を好まれる方もいらっしゃるかと思います。

NISSEのホームポジションと手の置き方

上の写真はNISSE Mサイズ(試作品)で手の長さは180mmです。日本人の男女合わせた手の長さの平均は178mmなので、比較的日本人の平均的なイメージに近いかと思います。

NISSEの場合の、ホーム ポジションへ手を置く手順は、

1) 右手の人差し指、中指、薬指、小指をJ, K, L, ;キーに、親指をスペースキーの上にのせる。
2) そのまま手を広げた時に、人差し指、中指、薬指、小指が6, 8, 0, =キーの方向に自然に伸びることを確認して、そのまま前腕を机(あるいはアームレスト)の上に置く。
3) 左手も同様になるように体とキーボードの距離なども合わせる。

のような感じで調整してみてください。ふつうのキーボードとは少し違いますが、慣れれば自然にできるようになるかと思います。

Mサイズ用に加工中のキーキャップ

MサイズのNISSEの提供が当初困難だったのは、小さなキーキャップが工業製品として一般には流通していないためです。今回は、新しいキーキャップの金型をおこして作っているのではなく、18.8mm用のキーキャップのスカートの部分をCNCフライスでカットして作っています。このあたりも生産数に対してなるべくコストを抑えられるように工夫している部分になります。

まとめ


人間の手の大きさに合わせてキーピッチの異なるキーボードを何種類か作る、という考え方は、1980年代にTRONキーボードの設計の中でも述べられていた通りです。最近ではワシントン大学をはじめ海外の研究でも同様のことが述べられるようになってきています。

一方、1988年にM式の森田正典さんはご著書の中で、
『研究室の実験だけならば、キーの大きさを、大中小何種類作るのも自由であるが、工業製品を開発する見地からは、キー用のスイッチが大量生産品であり、この大きさを変更することは、その変更したスイッチの生産量が大量に保証されない限り、現実的には実現困難なことであることが案外知られていないようである。』
と述べられています。こういった部分は、工業製品としての見地からは依然として正しいものでしょう。そうでなければ、TRONキーボードもMサイズ以外のタイプも商品化されていたかもしれません。

ただ、こういった点もMakersの時代になって少しずつ変えていける領域のひとつではないかと思っています。従来の大量生産という観点にはとらわれずに、かと言って一点ものではなくて、まずは5個でも10個でも自分に必要な数よりは多めに作れるように考えながら、試行錯誤していくと少しユニークだったり、大量生産品よりも便利なモノを作っていけるのではないかな、と思ったりしています。

キーボードに関しては、2013年にこんな感じモノが欲しい、と思っていたモノをNISSE Mサイズという形で実現することができました。実質的にはLサイズが5号機、Mサイズが6号機になりますが、必要な方には同じもの製品としてお渡しできるようになっている、というのはなかなか嬉しいことだったりしています。

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