Shiki’s Weblog
ワープロに対する梅棹忠夫さんの提案と『ひらがなIME』
2020/06/13
きょう6月13日は梅棹忠夫さん(1920-2010)の100回目の誕生日です。わたしが梅棹さんの『日本語と事務革命』をよんだのは、3年あまりまえのことでした。それから、日本語入力IMEのことをよくかんがえるようになりました。2017年の4月には、あたらしいIME『ひらがなIME』をつくって公開しました。
この文章も、『ひらがなIME』をつかってかいています。きょうは、この『ひらがなIME』のような技術にいたるまでのことを、梅棹忠夫さんの著述といっしょにまとめておきます。
『知的生産の技術』
梅棹忠夫さんというのは、だれですか?そういうひとも、いるとおもいます。梅棹さんの業績をここで紹介しきるようなことは、とてもできません。梅棹さんがかかれた本に『知的生産の技術』という岩波新書の本があります。1969年に刊行された本ですが、いまもよみつづけられています。ことし、第100刷がでたそうです。もし「よんだことがまだない」というひとがいたら、ぜひ手にとってよんでみてください。
日本でさいしょのワープロの開発にたずさわれた天野真家さんのブログに、つぎのようにかかれているところがあります。
大学院に入ってすぐしたことは四条河原町の丸善に行き英文タイプライタを買うことであった。京大型カードも勿論忘れない。知的生産の技術の実践である。
この「知的生産の技術」というのが梅棹さんの本のことです。富士通でワープロ開発を主導された神田泰典さんも、「人間に相応しいかな入力方式の考察」(その1, その2)という論文のなかで『知的生産の技術』を参考文献にあげています。
梅棹さんがワープロの開発につよい影響をあたえたことがわかります。梅棹さん自身も、
その手紙のぬしはわたしの著書『知的生産の技術』の読者で、このあたらしい機械の開発にあたっては、この本がたいへん参考になったという。わたしは自分のしらないあいだにワープロの開発に参加していたのである。
と『日本語と事務革命』(p218)のなかにかいています。「その手紙のぬし」というのは神田さんのことです。
漢字と日本語
日本語ワープロの登場によって、だれでもコンピューターをつかって漢字かなまじり文をかけるようになりました。梅棹さんもたいへんまんぞくされたことでしょう、とおもいそうですが、まったくそうではありません。
(ワープロは)「日本語の洗練という点では、あきらかにマイナスであった」
「日本語の文章における漢字はこの一世紀のあいだ、先人たちのひじょうな努力によって、ようやく現状のところまでへらすことに成功してきたのである。ワープロ技術者たちは、この先人たちの血のにじむような努力に経緯と考慮をはらったのであろうか。そういう歴史があることさえ、しらなかったのではないか。」
『日本語と事務革命』(p.224)
「知的生産の技術」にもどると、梅棹さんがこうかかれているところがあります。
その後、日本語の文章においておこったいちじるしい傾向は、かながきの部分の増加ということであろう。とくに、戦後の一連の国語改革の結果は、その傾向をいっそうつよいものにした。いまでは、漢字かなまじり文というよりは、かな漢字まじり文というほうがふさわしいであろう。(改版p209, 初版p190)
梅棹さん自身、国語審議会の委員となって国語改革にあたられようとしたこともあります(第6期、第12期)。第6期には、梅棹さんがこう発言されたことが記録されています。
わたくしとしては,今度の国語審議会は,前の国語審議会と切り離された新規なものという感じがするが,これはおかしい。
なにがかわったのでしょうか。第5期のおわりに、ある委員からつぎのような発言があったのです。
元来,これまでも国語政策の案は,なくなられた保科孝一氏が数十年前に作られた案がもとになっているということである。戦争中,ある職についていたために,戦後パージにかかった人が多い。ある人がその職にいたためにパージにかかったかどうかはともかくとして,当時の有力な国語論者が,この会合に,はいることができなかったという事情がある。この意味合いで,国語審議会は,初めから不備の点があって発足した会であったという認識を,わたくしはもっている。
第6期からはそれまでの保科孝一さんの案にそって議論をすすめていくことが困難になっていきます。保科孝一さんの案というのは、かんたんにいうと、国語を平明化して、漢字をへらしていこう、というものでした。さいきんふたたび話題になることがおおくなった漢文の必修の問題も、戦後すぐにそうであったわけではありません。昭和27年の「東洋精神文化振興に関する決議」がその要因となっています。
いまは、国語の授業は漢字をおぼえる授業のようにおもっているひともいるかもしれません。けれども、日本の国語はずっとそうだったわけではありません。保科孝一さんは著書のなかでつぎのようにかかれています。
今後漢字が制限され、音訓整理されたので、これまでよりも、漢字かなまじりの文章に、かなの量が非常におおくなり、場合によっては、一行も二行も、かなばかりで書きあらわされることもあらう。
『国語問題五十年』, 保科孝一, p263
梅棹さんの文章をあらためてみてみてください。ひらがなのおおい、保科さんの案にそった「国語」らしい文章をかかれていることがわかるとおもいます。梅棹さんは国語に関しては、漢字制限をおこなうがわにたっていました。これは、なくなるまでかわることはありませんでした。
ワープロはこうした努力にたいして反動的なものとしてうまれてしまったところがあります。神田泰典さんのホームページのトップページには神田さんのことを「漢字を守った技師」としてたたえた記事がたいせつにのこされています。神田さん自身は梅棹さんとはぎゃくに漢字擁護のたちばにたったひとでした。そのことは、称賛されることでも、批判されることでもありません。漢字にたいしては、擁護するたちばも、制限するたちばも両方あります。これは菅原道真と藤原時平や紀貫之のころからの日本の伝統といってもよさそうです。富士通はワープロのシェアあらそいで1位にたっていた時期があります。批判されているのは、ワープロがおよそ漢字擁護の視点だけからつくられて、おおきなメーカーが一方的にそれをおしつけてしまったということです。
梅棹さんの提案はこうでした。
ここで、ひとつの提案がある。ワープロをワープロたらしめるために、どうすればよいのか。そのつかいかたについての提案である。それは、漢字変換をやめることである。ひらかなだけの文章で、それを漢字に変換しないままで、うちだすことである。
『日本語と事務革命』(p.229)
モードレスIME
いまではもうワープロ専用機という機械はなくなりました。でもそのときにつくられた「かな漢字変換方式」という日本語入力の手法はいまでも主流のままかわりません。そうした処理をおこなっているソフトウェアのことを、いまは「IME」とよんでいます。
従来型のIMEにはふたつのモードがあります。ひとつは「よみの入力モード」です。もうひとつは「変換モード」です。たとえ入力したい文がひらがなだけであったとしても、かならず「よみの入力モード」はつかわないといけません。くわえて、いまのIMEには自動的に漢字に変換する技術がくみこまれています。これは、「よみの入力モード」中でも、気づかないうちにひらがなを漢字にかえていきます。そのとき、IMEはたいてい漢字擁護のたちばにたった視点で漢字変換をします。そのため、いまのIMEで梅棹忠夫さんのようにひらがなのおおい文章をかこうとすると、とてもたいへんなのです。
梅棹さんは、この「よみの入力モード」をやめるように提案されたわけです。漢字を制限するたちばのひとにとっては、どうしてもなくしたい機能だったといってもよいかもしれません。「よみの入力モード」をなくしたIMEのことを、「モードレスIME」とよんでいます。『ひらがなIME』はそうした「モードレスIME」のひとつです。
モードレスIMEでの漢字変換の方法
「よみの入力モード」をなくして、どう漢字変換をするのかと、ふしぎにおもうひともいるようです。その処理はじつはとてもかんたんです。
漢字変換の手順は、
- [変換]キーがおされる。
- カーソルの前方のひらがなをしらべる。
- 漢字にする部分のひらがなを漢字におきかえる。
基本的にはこれだけだけです。なぜこんなことができなかったのかと、ふしぎにおもうひともいるでしょうか。いまのパソコンのソフトウェアは英語圏でうまれたものがほとんどです。OSにもこうゆうことをする機能をもとめられることが、ほとんどなかったのかもしれません。
従来のIMEでの変換手順はつぎのような感じです。
- よみをIMEのバッファにためこむ。
- [変換]キーがおされる。
- IMEのバッファをしらべて、漢字におきかえる。
- 確定するために[Enter]キーがおされる。
- IMEのバッファの内容をアプリケーションソフトウェアに挿入する。
この従来の方式であれば、アプリは、文字の挿入処理だけできれば、いちおう日本語に対応できます。IMEがなにをしているかを、ほとんど気にしなくてかまいません。モードレス方式のばあいは、IMEがカーソルの周辺の文字をおしえて、と要求をだしたとき、アプリもそれに応答しないといけません。
2017年に「ひらがなIME」をつくりはじめたころは、この処理ができるアプリがあまりありませんでした。いまでは、ウェブブラウザのFirefoxや、オフィススイートのLibreOfficeなども、この処理をできるようになっています。ただ、このとき、OSもあわせてあたらしいものに更新する必要があります。
いずれにしても、モードレスIMEを日常的につかうということがようやく現実的になってきました。梅棹さんがモードレスIMEのような提案をされたのは1988年のことでした。それから、じつにもう32年もたってしまいました。梅棹さんはプログラミング教育のようなことも『知的生産の技術』のなかで提案されています。つねにほんとうにさきの未来をみているひとだったようにおもいます。
おわりに
いまでは、漢字擁護派と漢字制限派とのあいだで激論があったことさえ、しらないひともたくさんいます。ことしは、梅棹忠夫さんの生誕100年にあたります。あらためてこうした問題についても、かんがえてみる機会がふえてゆけばとおもっています。