Shiki’s Weblog
梅棹式表記でのかきかたをかんがえる
2017/12/04
かかれる文章がよみやすいといわれる梅棹忠夫さん(1920-2010)。谷沢永一さんは、「二十一世紀における日本語の文章は、梅棹忠夫を見習う努力から始めなければならない。」としるされているそうだ(『梅棹忠夫の文章はなぜ明快なのか』)。
梅棹さんの文章はひらがなのわりあいがおおい。その表記法は「梅棹式」とよばれることがある。梅棹式表記の基本的なルールはふたつ(「漢字はやめたい」, 『日本語の将来』, p249; 「わたしの文章作法(さくほう)」, 『梅棹忠夫著作集 第11巻』, p309):
1) 漢語は漢字でかく。常用漢字を意識して、むずかしい漢字はさける。2) 和語はかなでかく。体言(名詞や代名詞)と、1音の動詞で意味が判別しにくいもの(例:切る、着る)は漢字の使用も許容する。
これにくわえて、
3) 副詞や形容動詞はもともとが漢語でもかなでかく。
ということもルールにくわえておくのがよさそうだ。「簡単」は漢語だから「かんたんに」は「簡単に」とかくような気がする。しかし梅棹さんの文をみると、「じっさい」、「こんどは」、「じつに」、「かんたんに」、「こくめいに」、「ひじょうに」といったぐあいになっている。
「じっさい」や「じつに」は副詞にあたる。野内良三さんは『日本語作文術』で「副詞は平仮名書きを基本とする」(p164)とかかれている。梅棹さんは、もうすこしひろく形容動詞(ナ形容詞)もひらがなでかかれている、とおぼえるとよいかもしれない。(ただし、梅棹さんの著作集でも「一気に」、「雑多な」、「露骨に」のように漢字をつかわれているものもある。こまかなルールはまだわからない部分がある。)
最近はワープロでかかれた文章をみることがふえた。ほとんどがそうといってもいいくらいかもしれない。「じつに」などは、かながきだとむしろ違和感さえおぼえるひともいそうだ。梅棹さんはこうした現象を「ワープロ反動」とよばれて警鐘をならされていた(『日本語と事務革命』)。
じっさい、いまよくつかわれている日本語入力IMEでは、漢字のわりあいがすくないにもかかわらず梅棹式で文章をかくのはかえってたいへんになってしまっている。富士通のワープロOASYSの開発をリードされた神田泰典さんは、「漢字をもっと生かそう」「私は以前からこのような考えでした」とのべられている(『漢字のことや 日本語入力をめぐって』)。コンピューターで漢字を処理するためには、どんな漢字でも入力できなければいけないのはたしかだ。ただ、だれにでもよみやすい達意の文章をかこう、という梅棹さんのような視点とそれとはまたべつということになりそうだ。
いま梅棹式表記で文章をかきやすいように、あたらしい日本語入力IMEをつくってみている。この文章もあたらしいIMEでかいている。FedoraやUbuntuなどで利用できるので、関心のあるひとはためしてみてほしい。
さて今日の本題は、梅棹式をつかうだけで文章はよみやすくなるのか、ということ。気がつけば半年ほど文章は梅棹式でかきつづけているが、じつはこれがなかなかむずかしいことがわかってきた。
ひらがなのおおい文章とわかちがき
梅棹さんは『知的生産の技術』(1969)のなかでご自身の文章について、
わたしのこの文章においても、すでにあらわれているように、かながきの部分がながくつづくと、どこで語がきれるのか、わからないために、よみづらくなってくる。よみやすくするためには、どうしても語と語のあいだをあける、いわゆる「わかちがき」を採用しなければならなくなってくるのである。
とかかれている。梅棹さんは、梅棹式表記では文章がよみづらくなりやすいことに気づかれている。そのうえで、漢字にたよらずに、よみやすい、やさしい、といわれる文章をつくりあげていかれたことがわかる。
保科孝一さんは『国語問題五十年』(1949)のなかで、
これまでよりも、漢字かなまじりの文章に、かなの量が非常におおくなり、場合によっては、一行も二行も、かなばかりで書きあらわされることもあろう。そうすると、わかち書きをしなければ読みにくくなるのは当然であるから、それを避けるために、ぜひわかち書きを実行しなければならないようになる。
とかかれている。梅棹さんのような文章をかくひとがあらわれてくることを予想されていたのは興味ぶかい。
保科さんは上田萬年さんにつづいて日本の国語のありかたを主導されたひとだ。日常つかう漢字は何字くらいがよいか、おくりがなはどうおくればよいか、といった研究を戦前からつづけられていた。しかし戦前は反対意見もおおくなかなか採用されることはなかった(『岡田良平先生小伝』)。
わかちがきというのは小学校低学年の教科書のように区ぎりに空白をはさんだかきかただ。戦前のわかちがきの「サイタ サイタ サクラガ サイタ」ではじまる国語の教科書は井上赳さんがつくられた。「国民学校教科書事情」をよむと、軍とのあいだでたいへんなご苦労をされていたことがつたわってくる。「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」というページでは、さし絵をおもちゃの兵隊にしてしまうことで軍の影響を排除するようにつとめられたりもしている。戦況がひどくなり、井上さんでも抗しきれなくなって辞表をだされた前後で教科書がどんな風にかわってしまったか、というお話は『「ヘイタイ」が「ヘイタイサン」になった国定教科書』がわかりやすい。
いずれにしても戦争をつづけていくなかで、日本人はそれほどおおくの漢字をかくこともよむこともできない、ということをいちばん実感していたのは徴兵した国民をあずかっていた陸軍のひとたちだったのかもしれない。戦争中に兵器のマニュアルにつかえる漢字の数を制限したり現実的な方向にむかいだす(『漢字と戦争』, 塩田雄大)。
保科さんが50年にわたって研究されていた常用漢字や現代かなづかいは、敗戦をへて戦後いっきに実施された。戦前は無理だろうとおもわれていた憲法の口語化も実現される。井上さんは戦後、衆議院議員になって口語憲法づくりにもたずさわられている。
助詞の「をはへ」とかいているのを「おわえ」にすることもいずれできるだろう、というくらい楽観的な期待のなかでスタートしたのが戦後の国語なのかもしれない。終戦から時間がたつと、もとにもどそうと主張するひとのちからがふたたびつよくなっていく。漢字制限を意図した当用漢字は常用漢字にかわり、めやすのひとつということになった。いまではほとんどの高校生がよめないような字も常用漢字のなかに追加されている。放送局は常用漢字よりも制限のつよい独自のルールをもうけたりしている(『かな書きか 漢字書きか』, 吉沢信)。
そうしていまでも、わかちがきは手本になるようなスタイルが確立していないようだ。阪神・淡路大震災をきっかけに考案された「やさしい日本語」では『「やさしい日本語」のための分かち書きルール』を提唱しているが、「やさしい日本語のニュース」ではわかちがきはつかわれていない。敗戦や大震災といったことがないと、ことばはいっきにはうごかないものかもしれない。
けっきょく、わかちがきなしで梅棹式表記をつかってよみやすい文章をかく、という課題がのこってしまっているのだ。ただ手本なら梅棹さんの22巻にもおよぶ著作集があるのだから、なんとかなりそうだ。
方丈記の鴨長明の時代から、日記は大鏡のように、和歌は伊勢物語のように、物語は源氏物語のように、そしてできるだけ和語でかけ、といわれていた(「仮名筆」/『無名抄』)、というくらいなので、ふつうのひとはだれかの文章をみならってかくしかない。方丈記もまた和文と漢文訓読体を融合させた近代日本語、和漢混淆文のお手本となった、というのは学校でならっていたりするようだ。
梅棹式表記のための教科書さがし
いずれにしても手本となる文章だけでなく手びきのようなものもほしい。ということで、梅棹式表記で作文するために参考になるような文献をいまもさがしている。以下はいまみつけられているものの一部だ。
『梅棹忠夫の文章はなぜ明快なのか』, 大島中正
梅棹さんの文章について、いまわかっていること、わかっていないことなどをまとめられている。漢語をさけて、耳できいてわかることばをつかうようことばえらびを慎重に、というのは800年まえの無名抄とかさなるものも感じられる。しばらくでもローマ字でかくことがその訓練として有効にちがいない、ということを梅棹さんはのべられている。
「知的生産の七つ道具にみる思想」, 小長谷有紀
『考える人』の梅棹さんの追悼特集のなかの一編。梅棹さんは、1955年までの数年間の日記をローマ字でかいているそうだ。「文明の生態史観序説」(1957)をあらわすために1956年から漢字かなまじり文に満を持してもどされたのでは、というのが小長谷さんの推測ということになるだろうか。
『日本語の作文技術』, 本多勝一
梅棹さんとは無関係に作文のための教科書として紹介されていることもおおい一冊。学校ではおそわることのなかった作文技術を京大探検部で本多さんは梅棹さんからちょくせつおそわった。『日本語の作文技術』のなかには、もとをたどれば梅棹さんの自宅でひらかれていた梅棹サロンにいきつくものがかなりあるかもしれないとのべられている。この本からは、どんな風に語をならべたら誤解のない文になるかといったことを梅棹さんがおしえられていたことがわかる。
ひとつ残念なことに本多さんは梅棹式表記はつかわれていない。そのため第五章「漢字とカナの心理」は、梅棹式表記とは無関係の本多さん独自の内容になっている。とくに、わかきがちを目的として読点をつかうことは否定している。この点はまたあとでふれたい。
『日本語作文術』, 野内良三
野内さんの『日本語作文術』は、本多さんの『日本語の作文技術』とおなじ内容もカバーしていて、よりよみやすい。読点については、本多さんの方法よりもより柔軟な対応ができると指摘されている。めやすのひとつとして、ひらがなばかりつづいてよみづらいときに読点をうつということもあげられている。
本多さんと野内さんで共通する内容のかんたんな紹介
学校でならう学校文法では、日本語の文は、
(主語)-(修飾語)-(修飾語)-(修飾語)-(述語)
のような構造になっているとよく説明されている。英語はSVOで、日本語はSOV、といったぐあいだ。梅棹さんはこれを英文法をむりやり日本語にあてはめた植民地的なもので、日本語は述語以外はすべてその補足部だということをのべられていたそうだ(本多, p214)。
いま日本語を第二外国語としてまなんでいるひとにおしえている日本語文法では、日本語の文は、
(成分)-(成分)-(成分)-(成分)-(述語)
のような構造になっていると説明している。梅棹さんのことばをかりれば、
(補足部)-(補足部)-(補足部)-(補足部)-(述語)
となる。述語以外は補足部だから別になくてもいい。
(あした)-(京都まで)-(新幹線で)-(いく)
この文に主語はない。この文から補足部を全部とってしまって「いく」だけにしてもそれだけで文になる。
日本語では補足部はどうならべても文にはなる。補足部をどうならべたら誤解のないわかりやすい文になるか、ということを梅棹さんは本多さんにはなされていたという。
みちびきだされた原則として、補足部はながい順にならべる、とのべられている。
梅棹式表記での読点のうちかたの一案
梅棹式表記のむずかしいところは、ひらがなばかりつづいてよみにくくなる、というところだった。わかちがきもつかえないとなると、ひらがながつづいてよみにくいところに読点をうちたくなる。このとき、わかちがきのかわりに読点をうったことで文のもとの意味や内容がかわってしまってはこまる。
本多さんはそうして文の論理がくずれてしまうおそれがあるので、わかきがちを目的として読点をつかうことを否定されている。ここでいきづまってしまいそうだが、さいわい野内さんは、「正順で書けば読点は不要」(p54)ということをしめしている。正順とは、「正則語順」、補足部がながい順にならんでいる、という意味で野内さんはつかわれている。
梅棹式表記では、文の論理が読点で破綻しないように補足部を正順でならべたうえで、読点をひらがなばかりがつづいてよみにくくなるところにうつ、ということができそうだ。
梅棹さんは、ローマ字表記や梅棹式表記で文章をかかれていて補足部のならべかたの重要性に気づかれたのか、その重要性をしっていたので梅棹式表記で文章をかきえたのかはまだよくわからない。それぞれ密接に関係しているのはたしかそうだ。
ちなみに梅棹さん自身はほとんど気にせずに読点をうたれていたそうだ。誤解をまねかないようなところに気をつけてうて、ということであったらしい(意見交換:句読点について)。もともと読点がなくてもすむくらい語順に注意されてかかれていたからこその発言であったようにも感じられる。
まとめ
どうかけば梅棹式表記でよみやすい文章がかけるか。かんたんにはわからないことがまだまだおおい。今日はこれまでしらべた範囲のことをまとめてみた。梅棹さんから作文技術の指導をうけられたかたで本をあらわしてくださるようなひとが本多さん以外にもいらしたら、と期待しているひともおおいのではないだろうか。
ひとつおもしろかったのは、梅棹式表記をまねしてみてあらためて自分の作文はまずいな、ということに気づいたという点だ。梅棹さんはローマ字でかくことが作文の訓練になるということをかかれているが、梅棹式表記でかくこともまた作文の訓練になっているのかもしれない。